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お買いもの日記だったり、つぶやきだったり

富野監督と福井晴敏氏トークショー

2006年11月26日(日)多摩映画祭

Zガンダム3部作上映時の富野由悠季監督×福井春敏氏トークショーです。

※ステージ上に回転イス2脚。その前のソファテーブルには赤い花が飾られています。

 


福井:

えーとですね、あの。ここに席、用意したあるんですけれども。
いっこうに、この人座る気配を見せません。
立っていて2人で並んでいると、どさまわりっぽい漫才師みたいな感じ。
座っちゃうと見栄えがよろしくない、と、ここからすでに富野イズムがスタートしていますので不自然な状況にお付き合いください。

 

富野:

いや、不自然じゃないんですよ。こんな大きな舞台というフレーム、ここに座らせようとする支配人が素人なんです。舞台を構成させる、、、

 

福井:出ました。ダメだしが。

 

富野:

ガンダム世代と呼ばれる人たちがこういう歳になったんだから、
そろそろ慣れて欲しいな。なんて言うのかな、、、見せる側、視覚効果配分を考えてくれてないというのが、ほんとに困っちゃうな。
大人になったんだから、ちゃんと気をつけてやりましょうね。って、そういう話です。
…なんでいきなりこういう話になるの。

 

福井:

や、あのーえ~。ここにお集りの皆さんは。これが初めてZガンダムご覧になった方いらっしゃいますか? あ、いる。
でも、ほぼ99%の人は観てらっしゃってガンダムが好き、という方多いと思うんですけれども。
あのー俺もですね、一本につき2回ずつ観ていると思うんですけれども。この間DVDが出たので、念願の3本続けて「俺だけ祭り」を自分ちでやったんです。もう全部観てるし、話も分かっているはずなのに、二本目の途中あたりから段々何観ているのか分からなくなって来た。(場内、笑い)
このすさまじい量のストーリー密度と言いますか、これはね、スターウォーズ、ロードオブザリング以上に、、、自分で何しているのか分からなくなってきた。

 

富野:

あのね、違う。それは違うと思う、いま言った作品も、だってそれ情報量多いのよ。

 

福井:

え、スターウォーズとかの方が?

 

富野:

の方が多いかどうか分からないんだけれども、やはり僕は多いと思っているし映画っていうのはあれくらいに作っておかないと、スターウォーズとかには負けるわけだから、絵のクオリティが低い分、俗にいう情報量は多くせざるをえないという気分は僕の場合はありますね。ほんとに間違いなのかな~

 

福井:

う~ん、いやそれより、俺はこれから続けようと思っていた話を粉砕された。。。
どうしようかなあと思ったんですけれども。

 

富野:

だったら、ごめん。好きにどうぞ。

 

福井:

なんでそんなに密度が濃く…って、、、座るんですか?しかも?
   (場内笑い)

 

富野:

だから、じゃ、密度が濃くって何故いけない?

 

福井:

密度が濃くって素晴らしいと続けようと思っていたのだけれど、あのー。

 

富野:

分かんなくなる話なんだから、、、

 

福井:

あ~うん、、

 富野:

(遮るように)ホントにすみません。これから観る三本目ますますわけ分かんなくなりますから、観たくない人はさっさと帰ってください。
あのー、寒くならないうちに、暗くならないうちに、、、
(場内笑い)

 

福井:

いや、そうじゃなくてですね、、、
まあ、TVシリーズをご覧になっている方もいるかと思うんですけれども、このZガンダム、映画を観ているとか、アニメを観ているとかの経験則からすると何をしているんだか分からなくなる感じがする理由が何かって言うと、、、

 

富野:

あ…   

 

福井:

ちょっとだまっててください。
(場内笑い)
あれなんですよ。Zガンダムって、ドラマってこと以上に、ドキュメント的な作り方をしているんですよね。
ドラマとして面白い物というよりか、ファーストガンダム宇宙世紀、その後がどうなったかということを単純にドラマをとっぱらって、カメラを持って行って、周りを見て、いろいろな人の生き死にがあったということをただ眺めているだけ。
自分の歳くらいだとファーストガンダムZガンダム世代にひっかかっているところなんですよね。
映画としてどう、アニメーションとしてどう、というよりも、なんか、これから世の中に出て行く上でひとつ参考になるものを見せてもらった、、その参考になるというものをTVシリーズのときは時間かけて少しずつ吸収できたんですけれども。
映画は4時間半で世の中のことをこれぐらい分かれ、という話をいっきに詰め込まれるわけで、、それがこの映画の大変なところであり、魅力でもある。というところに繋げたかった、というわけで。

 

富野:

あの、、、そういう風に説明していただけると、納得はしませんが。あ、そういう風にしか組み立てられていない作品なんだ、ということを今、説明されたわけです。そういう風に聞かされると、自分としては劇を組んでいたつもりだったんだけれども、あー劇になってなかったんだ、ということで、今、落ち込んでいます。

 

福井:

どうしてそう悪い方に悪い方に。

 

富野:

いや、悪い方というのとはちょっと違う。
あの、、劇というのは単純に見て楽しめるお話であれば良いと思っているし、で、ロボットアニメでドキュメンタリーがどうのこうのという上等なことを考えて作っている気分は全く無いんですよ。そういう風に言われてしまってはかいかぶりなんじゃないかな。と言うのと、ここにいる福井君ご自身、自分が好きなものって、やっぱり素敵に思いたいじゃないですか。だから、、、

 

福井:

20年勘違いしていた?

 

富野:

すごく無理をして褒めてるんじゃないかな?

 

福井:

いやいや、そんなことないと思いますよ。

 

富野:

ドキュメンタリーっぽく見えるって、良い意味での評価なのかしら。

 

福井:

なんで良いかって言うと、TVで、劇映画にもなって、みんながお金を投資して集まってできたオープンエンタテイメント。皆で一緒に観ましょうという媒体で、そういうことをやったというのは、やっぱ凄いことなんです。当たり前のドキュメントの本だったら、高校ぐらいの俺だったら死んでも読まなかったと思うんです。それが世の中に興味を持てる糸口になったということですかね。俺は。それがZガンダムの価値のあることですね。

 

富野:
そういう風に言われるとホントにアニメでそういうことができたっていうのは凄いこ
とだと思いますけど。やはり、ボクにはそういう感覚はなかった。
アニメを使ってでも劇映画として組むにはどうしたら良いかということしか考えてな
い。

あと、もう1つ、自覚的にあるのは、その、映画監督にはなれなかったんだよね、
だけどもアニメを使って、ロボットが出てくることを使ってでも映画らしく組むとい
うことくらいはしてみたいという気持ちだけで今日までやってきた。
Zガンダムはこの程度にしか作れなかったから、、、この程度にしかまとめられない。
全部新作にしたいとまで思いながらも自分の力だけではできない。

それともうひとつ、妙な経験をしました。古い画しか使わなかったから、こういう風
にまとめられたのであっって、全部新作の絵で作り直していいですよって言われたら、今、福井くんが言ってくれたようなドキュメント風な感覚はきっと無くなっただろ
うな、ということもよく分かってます。そして、よくわかっていると言うことはどう
いうことかっていうと、まっさらなこういう作品を作れる自分ではないんだというこ
とを思い知った仕事なんです。そういう風に考えると、自分の中で全部がそれこそ良
い方向性を持って自分が能力を持って作ったという確信がないんです。

皆さんがいてくれて、20年後にZを観てもいいかなっていうマーケットがあって、そ
のマーケットに対して、ほどほどにしか投資したくないよ、という出資者がいて、顔
色見ながら作らされていく立場の中での自分というのが。全部新作だったら、こうい
うには作れなかった。
この3年間思い知らされたんです。僕の中であまり誇れる作品ではないという気分は
あるんです。

 

福井:
今、聴いたようなお話っていうのは、お客さんを面前にして、普通はまず話さないこ
となんですよ。だいたい普通は苦労話や見所とかお話を濁して帰るんですけれども、
この人の場合は裏の事情ですね。どうしてこういうものが作られたのか、自分は作っ
たのかということを正直に話してしまう。

 

富野:
正直って言うよりも、話すことがそれしかないから。
こういう志があって、宮崎駿監督をようするにつぶしたくって、、って口が曲がって
も言える立場じゃないわけ。それがまず悔しいわけで。悔しいからこういう風にしか
作れなくって、で、すみませんね、全部新作の絵にすればいいんだけど、古いの混じ
ってますごめんなさいって言うしかない映画は映画じゃないのよね。

 

福井:
いや、その姿勢がですね、観客に対してすまん!とぶつけてくるのが、いわゆる
こぎれいにまとまった映画とは違う力がある、、、なんかさっきから俺が一生懸命フ
ォローしているようなんですけれども、、、

 

富野:
うん、もちろん、全部が全部ごめんなさいじゃないんですよ。

 

福井:
はいはい。

 

富野:
だって。それこそ、個人名あげちゃいましたけど、宮崎さんだけにしておきます。あ
の、宮崎さんは絶対こういう作り方できないですもんね!世界中でできるのは俺だけ。

 

福井:
それは間違いないね。

 

富野:
それは威張る。威張るけれどもね、でもこれは情けない仕事だぞ。って、やっぱりね、やってみると、思う。
本当に才能があったら、全部新作でZ三部作くらいのクオリティのものは最低作れなく
っちゃいけないのがプロだもん。

 

福井:
うん、なんですけど、そういう点でいうと、監督は作っているときにはあえてその、
これを全部新作にしたら、Zを作る意味がなくなるっていうことを言ってた、、

 

富野:
作業プロセスの中で実感した。っていうのは作りっ手っていうのはもの凄く、あの我
が儘な動物で、全部新しい話で新しい作画で15億かけて良いって言われた瞬間に、
それでZガンダム三部作でいいんですね、って条件だったらこういう話絶対に作りませ
んからね。
どういうことかっていうと、20年前の自分より今の自分のほうが上等だと思えるか
ら、上等に作ってみせるんですよ。

 

福井:
ふんふん。

 

富野:
それがね、前の作品よりかなりレベルが落ちるんですよね。

 

福井:
え、そうなんですか?せっかく良い流れになったと思ったのに、、、

 

富野:
んふふ。で、実をいうと映画好きであれば皆さんよくご存知だと思うんです。
リメイク版ってよほどのことがない限り、オリジナルを越えてません。
それで、、ようするにサイレントやトーキーになったばかり、、あ、今わかりやすい
例をあげます。「キングコング」っていうかなりおバカな映画があります。その手の
映画が好きな人にはバイブルみたいな映画です。(リメイク版は)オリジナルの映画
に比べて遥かに酷いよね。

 

福井:
だめですか。

 

富野:
うん。オールCG満載でやったら、お前等一番肝心なシーンがないじゃねえか!って映
画を平気で作って、それで逃げられる、、、

 

福井:
キングコング」で足りないシーンって何だったんですか。

 

富野:
だって。お船に乗せてニューヨークに行くってシーンがもろない「キングコング」な
んていうのは認められない。

 

福井:
あ~、、、俺は、あったような気がするなあ。。。

 

富野:
え、じゃ僕は中抜きで観たのかな。あった?

 

福井:
あ、でもね、しばりつけてどうこうっていうところは無かった。

 

富野:
ほら観ろ。ま、いいや。
オリジナルを越えるとは、よほどの才能があっても、技術力があっても、お金があっ
ても、かなり出来ません。たまにはいいのができることも、なきにしもあらず。世の
中これだけ人がいるんですから。でも基本的にオリジナルは越えられない。
それをとにかく一番意識しました。だからもしZを作るにあたって、古い画を使わずに
オール新作にした方が作り手としては気持ちいい。
気持ちはいいけれども、でも20年たった自分が、20倍優れた作り手になっている
かどうかはかなり怪しい。むしろ歳をとってる分だけ危険なんだ。むしろあるものを
使ってみせて劇をあらためて構成して行く方が、劣悪な条件というものを乗り越える
ためのもうひとつの新しいスキルなり想いなりを込めて作っていくほうがひょっとし
たら良いのではないか。と、もうひとつあります、映画の機能で。 

実写の映画でさえ、撮影期間が長ければ長いほど、、、映画っていうのは短期間に撮
影された素材で構成されているわけでもないのです。カットカットのピースが絶えず
コンスタントな状態なもので作られているのかというと、そういうものでもない。時
間的にもクオリティ的にも画質が違っている。
そうしますと、20年という時間のギャップはちょっときつすぎるんだけれども、ア
ニメだったらできるかもしれないと挑戦した部分があります。何よりも一番大事なの
は映画的な機能、と言ったとおりです。
映像言語という言い方もあります。劇場で一気に見せる為の、つまり、見せ物、ショ
ーとしての構造を考えて行ったときに。ロボットものでもこういう作り方があるのだ
と、チャレンジするというのは面白い。
もうひとつ重要なことがあります。自分好きに作らない。そして、この古い絵を観て
くれていた人達もいるんだ。そういうような想いも含めて、基本的な、例えて言うな
ら、人物構成に絶対に手をつけないで物語を組んでみせるというのは、これは好き勝
手に作るのとは違います。
ですから、映画を作るという意味ではかなり上質なサンプリングになっている自負心
はあります。
ただ、さっき言った通り、宮崎監督に勝ちたいのにこんなことやっている場合じゃな
い!
だけど、これしかできない!情けないというのが実感としてあります。

 

福井:
はい。え~、最後に良い話をさせてください。
何もしないでいいので、ここで立っててください。
今回、主人公の性格というものがかなり変わって見える。やってることは同じなんだ
けど、言ってることが違うだけでだいぶ物事の受け止め方が違う。
このへんがやれたのは、Zガンダムを劇場版にまとめるにあたって、劇場作品ライクに、娯楽的にまとめちゃおうと。カミーユビタンの「頼むから俺の話を聴いてくれ」と
いう性格は邪魔だ。だから、ああいうふうにまとまったのか、というとそれが理由で
はなくて、今現在の富野由悠季カミーユを見た時に、どうしたら彼を、、成仏って
言うんじゃないけど、TVでは言ってみれば彼は悲劇的な結末を迎えてしまうんだけれ
ど。いかにその魂を救ってあげようか、、、

 

富野:違う。そういうな言葉遣いをするからなの。たとえばどんなに悲劇的であって
も、それからニートを喚起するような映画とか。文学作品でも、作家とかアートとか
認めるんだけれども。そんなことやってるから大衆とか愚民とか観客とかね、そうい
うところにダーっと流れて行ってね、鬱屈してていいんだって思っちゃうのよ。
違うの!オープンで見える物はみんなで楽しく!エンタメにしようぜ!
単純にそれだけ。

そして、僕が20年近く前にああいうカミーユビタンを作ったのはあの時代のアニメ
状況とかTV状況とかエンタメ状況とか内向していくから、ヤバいな、こうなっていく
ぞってだけのこと。
今、この時代になってきたとき、音楽も含めて演劇も含めてエンタメというジャンル
がかなりオープンになってきてるんですよ、だけどアニメだけ、みんなで平気に電車
男になっていくわけね。それはダメだぞ!と異議申し立てで成仏もくそもないの。
フィクションなんだから、リアルな人生じゃないんだから。作り手の根性で簡単に作
り替えられる。なんでアートと言われている人たちはみんなで、わけの分からないも
のを作って気持ちいいとか、自分たちだけで内向して気持ちいいとか、そんなマスタ
ーベーションみたいなものをオープンな席上で見せちゃダメ!

 

福井:
なるほど。

 

富野:
それを言いたかったの。だからああいうふうに作り替えただけで、カミーユの成仏も
魂のうんたらかんたらも一切関係ありません。重要なのはフィクションというのは作
り手の気分でどうとでも変えられるんだから、ということ。

 

福井:
望みどおりっていう感じですよね。ああ、いい話聴けたなーみたいな。
でも、そういう心持ちに監督がなって、こういう作り方ができたってこと自体が要す
るにカミーユの魂、、と言い続けましょう。カミーユの魂というのは要するに20年
前の富野監督なんですよ。

 

富野:
そうですよ。おかげさまで元気になりました。ありがとうございます。
(場内笑い)
ホントに最近使われているレトリックで申し訳ないんだけれど、ほんとにZをこういう
形で発表させていただけたんで、元気に死んで行ける確信みたいなものを手にいれら
れる。歳をとっていくということは、こういうことであって欲しいなと。つまり、鬱
屈してのたれ死にして行くのはいやだな。そういう姿をできることなら人様に見せた
くない。
鬱屈しないで死んで行ける自分を手に入れられたかもしれないということをとても嬉
しく思います。それについて、皆さん方はここにいらしていただいていることも含め
てです。自分にそういうものをいただいていると実感しました。
ほんとうに皆さん、今日はお寒いところお集りいただきましてありがとうございまし
た。

 

福井:
え、終わっちゃうの!?
話の接ぎ穂がなくなってしまったんですけれども